故郷のお話

住職のおはなし

「ふるさとの山のかたちが一番の名山だ」
 
 遠洋漁業の船乗りだった父が家に帰ってくるたび口にしていた言葉です。その日は当時中学生だった私が二年ぶりに父の顔を見たときでした。私の実家がある秋田県の男鹿半島は真山・本山・毛無山という男鹿三山が稜線をなしていますが、あまりよい形だとはいえず、どこかぼこぼこしています。その山々を見ながら父はうれしそうに語っていたのですが、そんな父もこの世を去って早七回忌が過ぎ、今年もきゅうりの早馬に乗って里帰りしてくる季節となりました。

 お盆の迎え火を見ますと、あの世とはいったいどこにあって、はたして住みよいところなのだろうかと、たわいもないことを考えてしまいます。明治時代の民俗学の父である柳田國男先生は、著書『先祖の話』で日本人古来の死生観について次のように述べられています。
 「人は死ねば子や孫たちの供養や祀(まつ)りをうけてやがて祖霊へと昇華し、故郷の村里をのぞむ山の高みに宿って子や孫たちの家の繁栄を見守り、盆や正月など時をかつぎてはその家に招かれて食事をともにし交流しあう存在となる。生と死の二つの世界の往来は比較的自由であり、季節を定めて去来する正月の神や田の神なども実はみんな子や孫の幸福を願う祖霊である。」
 このように、日本人の底流をなす神道の思想に、魂の行方の一つの答えをみることができます。じつは歳徳神や、田の神の正体が私たちの幸せを願うご先祖様だったとは驚きです。
 
 そういえば、以前勤めていた七面山敬慎院にも山と魂に関するお話がありました。七面山頂上への険しい「山道」は信仰をもって登れば「参道」となり、お参りして七面大明神の懐につつまれ山を降りるときには「産道」となると。これはまさしく修行の功徳と七面大明神の救いによる魂の再生を意味する言葉ではないでしょうか。山を降りた後は、私たちの祖霊と同じように家族や大切な人の幸せを願う振舞いを心がけたいものです。
 
 さて、少し話がそれましたが、仏教での死生観はどうでしょうか。死ねばどこか遠くへ行ってしまうのでしょうか。実は、私たちが知る菩薩さま、如来さまにはそれぞれ活躍の場であるホームグラウンドがございます。有名な阿弥陀さまの西方極楽浄土、観音さまの南方補陀落浄土、薬師さまの東方浄瑠璃浄土などたくさんございます。では、私たちが生きているこの地球、娑婆世界をホームグラウンドとしている仏さまは誰かと申しますと、皆さまご存じのお釈迦さまでございます。

 お釈迦さまがいらっしゃるところを霊鷲山などと呼んだりもします。お寺にも必ず山号というものがありますように、山とはその場所のシンボルでもあります。今生きているこの場所がお釈迦さまの浄土である霊山浄土であり、ご先祖さまはどこか遠いところに行ってしまうのではなく、実はこの場所で私たちを見守ってくれる存在だったと考えることができるのです。
 
 あの世から普段よりも近くに、皆さまのもとにお帰りになられた大切な人、ご先祖さまたちもきっと、懐かしい風景や、日々を大切に生きている子供たちの姿をみて「ふるさとの山が一番だな」と微笑んでいるのかもしれません。

         (佐藤勇光)

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