成長の軌跡 平成8年僧侶を志し、総本山身延山久遠寺入門しました。ここから全てが始まります。修行時代肌身離さず所持していた袈裟とお経品。涙や痛みが染み込んだ仏具は生涯の宝となります。平成18年 日蓮宗100日荒行に挑戦します。こちらの写真は結界門です。大荒行50日目【都市開教への挑戦】 平成22年日蓮宗国内開教師へ志願。日蓮宗として第1号に選ばれました。布教拠点を国立市に選びました。活動といってもお寺が用意されているわけではありません。私は親から譲り受けた土地や建物等もなかったので賃貸物件からのスタートでした。8畳のリビングに段ボールで祭壇をつくりました。妻と子を連れゼロからの出発です何もないとお寺であることをわかってもらえません。このような看板をつくりました。どなたもいらっしゃらなかったらどうしよう・・・そうしたら2人だけでやろうねと妻と話してました。記念すべき第1回お経と法話の会の写真です。被災し国立市へ避難しておられる方がいらっしゃるかもしれません、旗を立て太鼓を叩き歩きます。信徒さんと身延山へ参拝。多くの方にご参加いただきとても嬉しかったです。小さなお寺の産声を身延山へ届けました。寄付を募りみなさんと山門幕を作りました。竹垣設置も近所の植木職人さんが無償でしてくださいました。「あんたを見てると若い頃の自分を思い出す。がんばれよ」といわれました。【クリスマス法話】 信徒さんの主催するクリスマス音楽コンサートに法話で出演。布教、宣伝のために何でもさせていただきます。宗派の垣根を超えて講演活動 (写真 浄土宗研修会)講義、講演のお仕事も喜んでお勤めさせていただきました。(写真 立正大学にて)【寺院認証】 遂に「布教所」から「結社」へ昇格しました。賃貸物件の一室でも正式な日蓮宗の寺院と認められました。教区のお仲間に加えていただき活動の幅も広がります。ご本尊さまを身延山志摩房さまより継承いたしました。この日から一妙寺は一気に加速いたします。【本堂設計】 「シンプルでもデザインがよければ清楚にみえる」建築家岡田哲史先生のお言葉です。お寺に来られる方の気持ちを組み込んで随所に工夫を施した本堂をデザインしてくださいました。【地鎮祭】 本堂用地として甲州街道に面した60坪の土地を取得しました。金融機関を駆け回り、なんとか融資をいただくことができました。私の所得ではとてもお金は貸してもらえません。信徒さんの熱意が銀行を動かしました。【上棟式】 一妙寺の上棟式。職方のみなさまを労います。一妙寺は3階建ての木造ですが1階の本堂は高い天井だけでなく、2階3階を支える柱がありません。ここに一妙寺のすごさがあります。複雑な構造を図面に起した設計士さん、複雑な構造を形にする大工さん、本当に頭が下がります。遂にこの日を迎えました。辛いことや厳しいこともたくさんありましたが苦には感じませんでした。なぜなら「成功することに決めていた」から。パズルのピースが一つになるようにご本尊様、信徒さん、設計士さん、大工さん、スペシャルな方々がお集まりくださりあっという間に一妙寺を作ってくださいました。前世で私はよほど徳を積んだのでしょう、。ゼロから初めて約4年でできてしまいました。俯仰天地に恥じないお寺です。上川霊園の一画に一妙寺の墓地を購入しました。信徒さんと一緒にお経を読み酒、塩、米を使って墓地を浄めます。石塔の建つ地下に身延山にある日蓮聖人の墓地の石を少しいただき、埋めました。私たちのお墓が完成しました。中央の石塔には日蓮聖人直筆のお題目を金字にて刻印し、その周りには形、色目の異なる石を付け、これは「私たちが法華経に寄り添っている」という意匠です。皆さまと一緒にこのお墓を大切に護っていきたいと思います。「はまち」が「ぶり」になるように一妙寺は、宗門より「寺号公称」の証と印を賜りました。地道な活動が認証されこの慶事に、身延山まで信徒さんがお集まりくださいました。 国内開教師 第一号決まる 賃貸物件からの出発 段ボールの祭壇で出発 「人の心が集まっている場所」 僧侶の人柄に遠くから通う信徒も 国立布教所が結社に昇格 国立市一妙寺が宗教法人格を取得・日蓮宗寺院に ゼロからのスタート積み重ね