庚申の信仰

住職のおはなし

みなさまは「庚申」という言葉をご存じでしょうか。これは「かのえ、さる」または「こうしん」と読みます。

庚申は干支の組み合わせのひとつであり、昔、年月日を干支であらわしていたときにつかっていた言葉で、現代でも時間や方位などに使います。戊辰の歳に起きた戊辰戦争、甲子の歳に出来た甲子園などが有名ですね。

昔は「人の善悪によって寿命の増減が決まる」という考えがありました。庚申の日の夜、人は眠りにつくと体内から虫が出てきて、その人の悪い行いを神さまへ報告し寿命を縮めるのです。すると神さまが悪い風をその人に当てます、風は目に見えないのでもう防ぐことができません。そこで庚申の夜は虫がでてこないように夜を徹するという信仰が生まれました。

徹夜して起きていれば、虫が報告にいくことができないだろうという発想です。

庚申信仰は貴族の間で流行しました。そしてさまざまな習慣や信条が入り混じりながら、庶民に広まります。庚申の日は”庚申さん”として愛されお祭りとなりました。夜を徹して友達と囲炉裏を囲み、酒盛りをすることがとても楽しかったのでしょう。

私たちが旅行へ出かけた際、旅先の交差点などでみかける「庚申塚」「庚申塔」などはこの現れです。地域では「庚申講」と呼ばれるグループが作られ、葬儀やお金の互助組織を兼ねたりもしました

時代のトレンドとなった庚申信仰ですが、主役となった虫、そしてその虫が報告する神さまこそが仏教の帝釈天、青面金剛という神様です。帝釈天には疫病や結核を除く御利益があり、庚申が最も盛んだった江戸時代からの石碑や石造には帝釈天、青面金剛を本尊として三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の像を祀る形式が見受けられます。
猿は庚申の申(さる)との縁もありますが、私が思うに悪い風や疫が目や耳、口に入らないようにとの教えが込められているのでないかと思います。そうです、感染症の予防です。

一妙寺が帝釈天をお迎えするこのタイミングで、奇しくも新型ウィルスが世界を蔓延する世となりました。これは終息を祈り平穏な世に感謝しなくてはならないというお示しといえましょう。

「コロナウィルス」・・・もう名前も聞きたくないですね。コロナのばかやろう!

本来でしたら令和2年の庚申の日である5月17日に一妙寺帝釈天開眼式を皆さまと執り行いたいと企画しておりましたが、感染拡大防止の為に僧侶のみで行う事に致しました。

新しくお迎えする帝釈天へ新型ウィルス終息を願う式典は、残念ながら皆さまにはご出席をご遠慮いただく形となりましたが、お心の中で願い、祈っていただけましたら幸甚に存じます。

又、自宅でできる修行として護持会長の吉田茂信さまがお題目写経をご提案くださいました。三密を避けるため、お経と法話の会や参拝旅行を自粛せざるを得ない今こそお題目写経を行いましょう。

 

 

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