一妙寺、帝釈天を奉安へ

メディア掲載

初めての国内開教師として東京都国立市に一妙寺を開いた赤澤貞槙住職が、帝釈天を新たに同寺に勧請する。感井坊(山梨県身延町)に参詣した時の自戒の気持ちを忘れないようにとの思いからだ。

感井坊に登詣したのは昨年6月。長く無住状態が続き廃墟のようになっていたが、内野光智・清水房(身延町)住職が復興。傷んでいた帝釈天像の修復が終わり、遷座式に出仕するためだった。

輿に載せた像を2人ずつ交代で持ち、身延山登山口から約3時間かけて山道を上がっていった。坊に近づくと、多くの信徒が題目を唱えながら出迎えており、赤澤住職は「御像を運ぶ華々しい役目を務められる」と、気持ちが高揚したという。

その時、もう一人の担ぎ手が「まだ担いでいない人に交代しよう」と言い出した。「注目の的になる」と考えていた赤澤住職は、この言葉を聞いて大いに反省したという。「僧侶の基本は、利他の精神。それを忘れていた自分に気付き、また素晴らしい仲間がいることに感謝した」

在家出身の赤澤住職は2010年に借家の布教所からスタートし、4年後に一妙寺の本堂を落慶。「御尊像を飾り物のように増やすべきではない」と考え、一塔両尊の本尊と、荒行堂で読経した鬼子母神だけを祀っていたが、「利他の精神を忘れない住職であり続けるため、感井坊で担いだのと同じ帝釈天を祀ることを決断した」という。

仏師の松本定祥氏に彫像を依頼しており、21年の春頃に出来上がる。

掲載 中外日報2020年1月3日号

 

 

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