感井坊帝釈天の遷座式

住職のおはなし

今月もみなさまと参拝させていただきました「身延山 追分感井坊(みのぶさん おいわけかんせいぼう)」について書かせていただきます。感井坊とは身延山中腹にある小さな宿坊です。

30年以上、無住状態が続き変わり果てたお姿になってしまった感井坊でしたが、一人の心ある僧侶(内野光智上人・身延山清水房住職)によって復興をとげました。その物語は多くの人々が喜び、感動に包まれ、勇気をもらいました。私赤澤貞槙も個人的に大変なご利益を頂くことができました。

この話は一妙寺のみなさまと感井坊へ参拝させていただいた一か月前、5月23日の出来事になります。 感井坊の修復は山道整備、庫裏の撤去、屋根の修繕と進みましたが、最後の大仕事は感井坊の主である「東京で修復した帝釈天御尊像をお寺に戻す」ことでした。車両では身延山の入り口までしか運ぶことができません。その為、身延山登山口から感井坊まではお像を輿に乗せ、お題目を唱えながら山道を歩き、元のお堂に奉安するのです。

ご縁があって感井坊信徒、身延山商店街有志の方々と共に御尊像を担がせていただいたのですが、片道三時間の道のりは大変なものでした。転ぶわけにはまいりません。地面のぬかるみ等、足元に細心の注意を払いながら一歩一歩慎重に進みます。適宜休憩をはさみながら、行列隊が呼吸と足並みをそろえ、身延山を登っていくとゴールの感井坊には多くの方がお題目を唱えながら私たちを迎えてくださいました。

大変だった山道も、ギャラリーをみると気持ちが高揚します。スマホで御尊像が輿に乗って登ってくる様子を撮影されている方もいらしたので、担ぎ手の私はつい心の中で「注目されてるかも」と思ってしまいました。 ですがそんな気持ちはすぐに訂正されます。最後は他の方に担いでいただこうという仲間の発案により、未だ担いでない方に最後の担ぎ手を勤めて頂きました。「ゴールで自分が熱い視線を浴びるかも」と考えた私はおおいに反省いたします。僧侶の基本は「利他の精神(りたのせいしん)」、つまり譲ることです。帝釈天様の遷座式を通じて私は忘れていた心に気付くことができました。そして他の方に譲ろうと発案してくれた素晴らしい仲間がいることにとても感謝いたしました。

一妙寺からは吉田茂信さまもこの遷座式にご参加いただいたのですが、「心の垢がとれていくような大変清々しい気持ちになりました」という感想をお寄せくださり、大事を成し遂げた悦びを分かち合いました。 荒廃した感井坊の復興を願った内野上人のお気持ち、応援したご信徒様のお気持ち、譲る心を気付かせてくれた仲間など、たくさんのドラマが紡ぎだされた感銘をこれから先も心に留めておきたく、私は一妙寺にも感井坊と同じ帝釈天像をお迎えできないかと考えました。

仏像は自分の心が感応して初めて礼拝できる御尊像になると思います。お寺だからといって安易に飾り物のように仏像を増やすのではなく、御尊像は信行の中で生まれてくるべきと思っておりましたので決断いたしました。感井坊からいただいた御利益を形とし、護っていきたいきたいと思います。

感井坊御尊像の修復を手掛けられた仏師の先生に、感井坊と同じ帝釈天様のお姿を一妙寺サイズにて制作を依頼し、9月23日本堂にて開催されます秋のお彼岸法要にてお迎えする帝釈天御尊像の「原木(げんぼく)のノミ入れ式」を行いたいと思っております。 制作を決めた帝釈天さまに誓い「利他の精神」を忘れない住職でありたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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