法務全てに真剣勝負 その積み重ねによってご縁が生まれる

メディア掲載

全宗門を挙げて平成十九年からスタートした宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」。現在の第二期育成活動は「『いのちに合掌』をスローガンに、但行礼拝の精神に基づき、『敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり』を推進する」を方針としています。そこで、昨年の四月号から、私たちの社会において、たくさんのご縁の中で、様々な形で突き進む宗門運動をインタビュー形式でお聞きする新コーナーを設けています。  

今回ご登場いただくのは、宗門初の国内開教師、赤澤貞槙住職。東京都国立市に新しく日蓮宗一妙寺を建立、11月3日に落慶式を済ませたばかりです。知らない土地に赴き、ゼロからお寺づくりを始めたご苦労や、3年という短期間に一寺を設けるまでになったご自身の活動についてお聞きしました。

法務全てに真剣勝負 その積み重ねによってご縁が生まれる 国内開教師制度を知り、迷わず立候補

――赤澤上人は宗門内の国内開教師第一号でいらっしゃいます。開教師に志願されるまでの経緯についてお聞かせください。  

小さい頃に、将来はお坊さんになると決心し、地元の中学を卒業後は、身延山高校、立正大学に進み、僧侶になりました。同級生のほとんどはお寺の御子息。彼らは卒業すると故郷に戻り、副住職として活躍するわけですが、私の場合、父は普通のサラリーマン、実家がお寺ではありませんから、帰っても活躍する場がありません。  

そのため、手が足りない、住職お一人の寺院に住み込みで勤めました。つまりお給料をいただく、宗教法人に勤める職員という立場です。  

そんな日々を送っているうちに、自分でお寺を作ることはできないだろうかと思い始めました。 15歳から長年お寺に身を置き、お世話になってきたことで、知識や技術だけではなく、感覚的なところで、お寺の作り方のようなものが分かった実感もありました。自分だったらこうしたいという明確なイメージも持つようになり、それをなんとか実現したいと強く思うようになっていました。  ちょうどそんな頃、国内開教師の制度があることを知り、迷わず立候補したというわけです。  

開教師になりたくてお寺づくりの構想を始めたのではなく、常に頭の中にそういうことを考えていた時に、まさに渡りに船のような形で自分の夢を後押ししていただいたということでしょうか。

――正式に開教師に任命されたときのお気持ちは?  

開教師選考には二度の面接がありました。一時面接を無事通過した後の二次面接では、膨大なプレゼンテーション用資料を用意しました。かなりの厚みになってしまいましたね。 二次面接で私に与えられた時間は一時間でした。でもそれでは足りないぐらい、訴えたいことがたくさんあったので、資料にはあとで目を通してください、とにかく自分の熱意を聞いてください、どうか私に布教させてください、そんな思いでプレゼンテーションをしました。

 結果として、正式に開教師として任命との報を受けたときは本当にうれしく思いました。  

その時の私には、妻と生まれたばかりの娘もいましたので、人生をかけた挑戦が始まったという身の引き締まる思いでしたね。

ゼロからのスタートは苦難の連続

――いよいよ布教活動開始、ゼロからのスタートです。最初に始めたことはどんなことだったのでしょうか。

いろいろな方にご意見を伺いました。他宗の、すでに国内開教師として活動されている方にお手紙を書いて会っていただき、教えも請いました。 その方は多摩市内のマンションの一室から始めて、土地を取得、本堂を建設している最中で、新しいお寺ができることに、地域から感謝されている成功例でした。 その方に教えていただいたのは、寺院作りのための三つのステップです。 一つ目は、檀信徒のコミュニティを作ること。みんなで力を合わせて自分たちの地域のこのお寺を盛り上げようという人々のコミュニティ作りです。 二つ目は土地建物の取得と建物の建設、そして三つ目の段階が、取得した土地で行う宗教活動を法律で守ってもらうために宗教法人の資格を取得すること。 ですから、まず檀信徒のコミュニティ作りから始めました。  

――具体的にはどのような方法でコミュニティを築かれたのでしょうか。  

国立市内に一軒家を借り、そこを布教所としました。そして、現在でも一妙寺の柱である「お経と法話の会」などの活動を始めました。

 しかし最初の頃は、電話もならない、メールも来ない、つらい毎日でした。国立に日蓮宗を広めたいと勇んでやってきたのに、ふたを開けてみれば誰も相手にしてくれないのです。  

そんななか、私を助けてくれたのが、すでに日蓮宗を信仰している、地域に住む方々でした。日蓮宗という信頼ある名前のおかげです。  

それともうひとつ、大きな助けになったのが、地域のお寺様からいただく法務の依頼でした。 僧侶は、やはり法務あってこそ。同じ格好で同じ内容の説法をしても、そこが街頭ではだれも耳を傾けてくれません。葬儀や法事という場面であるからこそ、私の話も聞いていただけます。 そこで私は、依頼された法務で、「参列者の記憶に残るお坊さんになろう」と決めました。参列者の中には、決まったお寺がない方もいるかもしれません。そんな方に選んでもらえるようにと、自分の言葉で語りかけました。ひとつひとつの法務全てが真剣勝負です。 そんな日々を送っているうちに、「このお坊さん、ちょっと違うな」、「このお坊さんに葬儀をやってもらいたい」と思っていただけるようになったのです。葬儀社からの信頼も得られ、依頼も入るようになりました。  

――自分の言葉で語りかけるからこそ通じるものがあるということですね。  

檀信徒に結縁するということで一番のポイントは、そのお寺、住職がどんな修業をしてきたのか、普段どんなことを考えているのかを知ってもらうことです。  

そして、こちらの気持ちと檀信徒の気持ちが通い合った時にコミュニティが生まれると思います。そのためには、下手でもいいから自分の言葉で話すこと。自分の信仰を自分の言葉で表現しないと相手には通じません。  「この和尚の説法は面白い、次もまた聞きたい」と思ってもらえるようにするには、人真似ではなく、自分の言葉で話すことだと思います。  

月一回の「お経と法話の会」も、始めたころは参加人数が一ケタという状況が続きましたが次第に増え、一年経つ頃には三十人を超え、部屋に入りきらないほどになりました。

完成した新寺院は温かみを感じる落ち着いた空間

――檀信徒のコミュニティづくりができ、いよいよ次のステップ、寺院づくりですね  

当初、一軒家を借りてそこを布教所にしていたとき、葬儀の依頼があると、葬儀社の方にお願いしていたことがあります。

それは、いただいたお布施は、いずれ新寺院を建立する時の費用とさせていただきたいと、ご遺族に説明してもらうことです。決して少額ではないお布施がいったい何に使われるか、お布施を出す方は誰しも知りたいのではないでしょうか。自分の出したお布施が寺院建立のためになるということなら、納得していただけるはずです。

その後、宗門から平成二十四年五月に、布教所から結社に承認していただきました。その翌年、土地を取得、夏に着工となりました。十五歳の時から将来のためにと蓄えてきた資金もあるにはありましたが、借金を背負うわけですから、何としても成功させなければと、気持ちも新たにしましたね。

 一般的にお寺というと、山門があって五重塔があって本堂がある、そのようなイメージをお持ちの方が多いでしょう。しかし私が以前から考えていたお寺のイメージは、仏壇に御本尊があって私がいれば、その部屋はもうお寺そのものというもの。お釈迦さまや日蓮上人のお言葉を勉強するのに、五重塔などは必ずしも必要ないのではないかと考えました。

ですから当院は、昔ながらのお寺さんからみるとちょっと雰囲気が違うかもしれません。デザインのコンセプトも、「喫茶店のようなお寺」です。本堂は床暖房完備ですし、お参りする方にほっとしてくつろいでいただけるのではないかと思います。

――シンプルで明るい雰囲気の本堂ですね。  

たとえばお料理屋さんを例に取ってみましょう。割烹のような格式の高いお店もあれば、うんと気楽な、大衆食堂のようなお店もある。お料理屋さんのタイプはいろいろあります。

 それと同じで、お寺にもさまざまなタイプがあっていいと思うのです。「あのお寺、いいね」と思っていただけるような、そんなお寺を目指しています。 以前まだ賃貸での布教所の時代、ある方から、「賃貸でも何でも、こういうお寺があってもいいじゃないですか」と言っていただいたことがあります。そのような温かい言葉に支えられてきました。  

お寺というのは死んでからお世話になるものではなく、むしろ生きているうちから役立てるものだと思います。そのためにも、喫茶店のような、親しみを感じる、敷居の高くない身近な場所であることはよいことだと思うのです。

開教師としてさまざまな側面から支援していただけたことに心から感謝

――現在の檀信徒さんの数は?  

信者と言ってよいのか、私どもが毎月発行している新聞をほしいと言ってくださる方は四百名ほどになりました。  

本堂ができたことで、「私たちのお寺」という意識は強くなったように感じます。お彼岸でおはぎ作りをするときなど、たくさんお手伝いに来ていただけるようになっています。コミュニティという面では、既存のお寺と同じような流れができてきた実感があります。

――これから国内開教師を目指す方、若い教師の皆さんへのメッセージをお願いします。  

国内開教師というと、ゼロからのスタートだと思われがちですが、実はそうではありません。  

私の実感では、物質的なものがないだけで、目には見えないところで、国内開教師というお墨付きが非常に大きかった。 さらには、宗務院の方からこの地域の他のお寺さんに、今度開教師としてこういう者が赴任するのでお願いしますとお口添えをしていただけたことも、本当に有難いことでした。  

当初、なかなかうまくいかなかったとき、絶望の淵から私を救い出し、立ち直らせてくれたのは、依頼された法務でした。それは、宗務院からの紹介のおかげです。あれがなかったら、今の自分はなかったと思います。  具体的なところでは、月々の家賃補助やお手当も本当に助けになりました。心から感謝しています。  

若い教師の方へ強調したいのは、繰り返しになりますが、人真似でなく、下手でもいいから自分の言葉で語りかけるということですね。  

そして、手間を惜しんではいけないということ。ホームページの更新など、手間を惜しむと何かを失います。住職の息のかかったものがなくなると、衰退に向かってしまう。お寺の雰囲気をつくるのは住職その人だということです。  

――最後に、次の目標について教えてください。  

苦労した時代があったからこそ、今の自分は、信徒さんが来てくださる、建物がある、ほかにも些細な小さなことに素直に喜びを感じることができます。  今後は、集まってくださる信徒さんの信仰の永続性を法律で守ってもらうためにも、宗教法人の資格を取得することが目標です。現在は結社ですが、教会として認証いただき、その資格を得た段階でそれが実現します。

【記事紹介】宗報2014年12月号掲載

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