法華経のお話し(2)

住職のおはなし

  お釈迦様は私たちのことを凡夫(ぼんぶ)と呼ばれます、凡夫とは愚か者という意味です。

仏様の眼から見て、私たちのどこが愚か者であるのかと言いますと、私たちは人生で最も大切にしなければならない宝物を、自分の心の外に求めて生きているところにあります。

人生の宝物とは、自分の心を慰め、喜ばせ、豊かにし、安らかにするものです。生きる喜び、生きる希望を与えてくれる宝物を自分の心の外に求めてしまうのです。 その結果、私たちは物欲や名誉欲の虜になってしまいました。お釈迦様はそのありさまをご覧になられて、人々は己の欲望の火によって焼かれていると悲しまれました。

人々は己の欲望の火に焼かれながらそのことを少しも苦しみと感じていないと法華経の譬喩品に説かれています。 お釈迦様は私たちが本当に求めなければならない人生の宝物はそれぞれの己心の中にあると断言されています。

しかし私たちは己心の外に宝物を求めます、法華経の教えが信じ難く、理解し難いのは、何よりも私たちが己心の中に宝物を求めようとしないためです。 皆様は自分の心の中に宝物を求められたことはおありでしょうか、正直に自分の心に聞いてみて下さい。もし無ければ法華経が難信難解であると、実感できるのではありませんか。

世の中にはいろいろな感動があります、文学の感動、スポーツの感動、芸術の感動。そして宗教の感動もあります。もしあなたが心から法華経を理解したい、たとえ短い言葉であっても心が震えるような宗教の感動を味わいたいと願っておられるならば、自分の心が全く正反対の方向に進んでいたことを素直に認めましょう。 自分の心がいつも外側にばかり向いていたら、宗教の感動を得ることなどできないのです。法華経を学んで深く感動することもできません。

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