表現は活力のお話

住職のおはなし

人間は心と身体、肉体と魂で構成されております。心というのは私たちの肉眼では捉えることができないのであちらの世界のもの(お彼岸)。対して身体というのは私たちの肉眼で捉えることができますからこちらの世界のもの(お此岸)といえます。

 こちらの世界の特徴は縦、横、高さで表現されることです。ここに時間軸が加わりすべての物体は時間の経過と共に変化をとげてゆくわけですが、向こうの世界は形や時間の概念がありません。

 つまり向こうの世界で私たちが普段できなかったことができるようになるのです。肉体(形)から脱し、魂は自由になります。

 例えば人類は大きな移動をするとき、自転車や電車、飛行機などを利用しますが、死後の世界ではどんなに遠くても瞬時に思い浮かべたところに移動することができます。

 それだけではありません、ほしいものも簡単に手に入ります。例えばラーメンを思い浮かべたら瞬時にラーメンが目の前にあらわれます。代金はいりません。

 あまりの心地よさに死んでよかったと思うほどです。

 ですがなんかおかしい。そうです、肉体がないので美味しくないのです。むこうの世界は痛みや苦痛がないのと同時に、味も爽快感も何もないのです。ちょうど夢の中にいるような感覚。

 そうすると魂はだんだん肉体が恋しくなってきて、また物質世界にやってくるようになります。向こうの世界は形がないので自分を表現することができないのですね。

 私たちの世界(物質世界)は形があるので自分を表現できます。お寺にいくのに今日は電車にしようか、バスにしようか。どちらか選ぶというのは自分の表現です。私たちの日常はそんな小さな選択の連続です。

 家族と相談しながら今日の夕飯はお肉にしようか、お魚にしようか。悩むから楽しいのです、

 向こうの世界のように瞬時に移動できたり(乗り物がいらない)、すぐおなか一杯になったり(空腹にならない)世界というのは、最初はよいのですが段々飽きてくるのですね。毎日温泉に浸かるとその快感が失われていくように。

 人間は表現や選択といった決定権を行使することで充実感や生きる気力を得ます。表現とは私たちの活力なのです。

 そんなわけで生き生きとした活動をしている一妙寺を表現すべく、印刷物に使用するロゴを新しくしました。

 新紙幣や出光、日産、明治など最近のロゴは丸みを帯びたデザインが主流のようです。私たちも見習い優しいフォントデザインにしました。

 今後とも一妙寺をどうぞよろしくお願いいたします。

  一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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