佐渡金山のお話 2026.02.01 住職のおはなし 前回の「佐渡の井戸のお話しよかった!」というお声をたくさん頂戴しましたので、今号でも佐渡のお話しを書きたいと思います。 佐渡といえば金山です、佐渡の金は品質、産出量ともに最高水準で江戸幕府の財政を支えたことは有名なお話しです。 佐渡で採掘された金は江戸まで運ばれるわけですが、途中海路を挟みます。当然、船が必要となり特に金を積む船を作る大工さんや船乗り関係者が住む集落は佐渡の中でも富の象徴となりました。 なるほど、それで明治時代までは新潟県が日本の人口第一位だったわけですね。越後にはお米もありますし「廻船問屋」というフレーズもなんとなく高貴な感じが致します。水戸黄門で悪代官と悪だくみをするのも「越後屋」だったり、黄門さまも身分を隠して旅をされ自己紹介の際は「越後のちりめん問屋」と名乗られました。ちりめんは布のことですから現代に例えて表現すると「新潟のアパレル企業の現会長」といったところでしょうか。 越後という国は江戸時代、一大商業土地でしたからこのフレーズは強力です。「大資本の経営者の老人が潤沢な資金を背景にお供を連れて全国を旅している」という設定が成り立つのも佐渡金山の恩恵によるものでしょう。 そんな佐渡金山ですが、金採掘の為には多くの殉職者がうまれました。 金の鉱脈は地表に露出する部分もあれば、地中深くに眠る場所もあります。金脈を追って掘り進めばやがて坑道は海抜ゼロメートルまで突入します。いたるところから地下水が湧き出し対策をしなければ水没してしまいます。ポンプなどない時代、湧いてくる水をどうやって山の外に排出したのか、それはすべて人力で行われました。 深部の坑道から二十四時間常に水を汲み続けなければならない、この過酷な労働を強制されたのが「無宿人」と呼ばれる方々でした。貧困のために家を追われた人、飢饉で仕事を失った人が強制的に捕らわれ佐渡の水替人足として過酷な鉱山労働にあてられたのです。 佐渡金山の付近には多くの墓石があり、それは殉職された方の石碑です。 無宿人の方は何か罪を犯したわけではありません、生まれや環境によって無宿となっただけです。幕府の治安対策によって捕らえられ劣悪な労働環境の中、ほぼ休みなく働かされる。換気が充分とはいえない坑道内に加えての集団生活、不十分な照明や騒音、不衛生な現場で働く労働者の多くは三年程で命を落としました。金山近辺には多くのお寺がありますが、これは幕府が供養の為に建てたわけではなく、後のゴールドラッシュの影響です。 しかしお寺が誕生すれば自ずとそこには弔いがうまれます。ここが私たちの心の中には佛種が宿っている所以です。亡くなっても墓塔が建てられることなく山に土葬され放置されたままであったその場所に、日蓮宗のお寺が中心になって供養塔が建立されました、そして令和の今日までそのお弔いのご法要は続いております。 佐渡金山展示資料館にはきらびやかな大判小判が並びます。しかしその裏では使命を全うし佐渡に眠ることになった多くの無宿人がいたことを今回佐渡を訪れ学ばせていただきました。 この無宿人供養祭は日蓮宗寺院が主催のものではありますが、驚くべきことは他宗派のご僧侶さまもご参列なさることです。宗派の垣根を越えてお弔いがされることに心から敬意を表し、今月の育寺閑話とさせていただきます。 一妙寺住職 赤澤貞槙 拝 住職のおはなし 第178回お経と法話の会 四菩薩開眼式 ピックアップ記事 住職のおはなし お墓のお話 2025.06.01住職のおはなし 住職のおはなし 住職の叫び 2021.02.01住職のおはなし