テーブルご奉納のお話

住職のおはなし

 親子というのは不思議なご縁で結ばれます、そして親子であるが故にときには衝突したり、いいようもない強い不快感が胃のあたりから駆け登ってくる、そんな経験がみなさまにもおありではないでしょうか。

 私はこれまでのお寺生活の中で一度だけ実家に戻ったことがあります。それは母親が重い病に倒れたときでした。今後のことについて父と話をしなければならなかったのですが、売り言葉に買い言葉、言い争いが過熱した結果「やっぱり自分はこの人とは無理!」とそのまま元の修行先のお寺に立ち戻ってしまい・・・以来、何年も父親とあっていないというのが私の親子関係でした。

 長年のわだかまりが解消すること・・・それこそが私が向き合わなければならない修行であったのにも関わらず大切な言葉が言えなかったのです。「あのとき感情的になってしまいました、あなたの子供として間違ったことをいってしまいました。すみませんでした」と。

 父のことを考えると胃に鉛を入れられたような重い気持ちになってしまっていたのですが、父が亡くなるまでそれが解消しなかったというのは、僧侶として本当に情けないです。

 私の娘も十五歳になりました。最近は学校や部活が多忙で夕食のときしか会話をすることが叶いません。私はこれからもできるだけ多くの時間を娘と過ごしたいと思います。私は娘の気を引くためにスターバックスや貢茶のラインギフトをよく贈ります。

 父は釣りが趣味だったので子供のころはよく連れて行ってくれました。私のようにデジタルで済ますことなく自分の趣味に子供を付き合わせるほど、子供と過ごす時間を作ってくれました。

 子供の幸せを願わない親はおりません。

 お父さんの一番貴重な財産、お父さんの時間を私のために使ってくれてありがとうございます。

 一妙寺でご法事をお勤めさせていただくときは、そんな気持ちをみなさまのご両親さま、ご家族さまへ手向けてお勤めさせていただきたいと思います。多摩福祉葬祭さまがご奉納くださったお食事のテーブルが、きっと故人さまと共に過ごした時間を感謝できる空間と演出してくださいます。

一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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