偉大な父のお話

住職のおはなし

住職という立場に身を置いておりますと多くの方のご臨終の場面に立ち会います。十五才のころに身延山に入門し、仏教を学んできた私にとって人が亡くなること、生まれることについて思慮深くなることは、ある意味必然かもしれません。

「人は何のために生まれてくるのだろう、どうして亡くならなければならないのだろう、そこに何か重要な意味があるのではないか」と。

 大切なご家族を失われたご遺族様へ僧侶として何ができるのかを、常に考えるようになりました。教えを通じて学んだことは「一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」というものです。

 人間は社会を形成する中で労働が欠かせません、嫌なことを我慢しながら、身体に多少無理をさせながら労働に勤しみます。

 それはなぜでしょう、お金が貯まれば生活が豊かになるからです、余裕ができれば家を買い、車を買い、身近なところでは「推し活」という言葉も生まれました。好きな人、団体、有形無形かかわらず一切を応援し、体力と気持ちの許す限りグッズを集め、お金を使う。これがあるから毎日を頑張れると思えます、人によっては終わることのないコレクション魂が燃焼いたします。手もとに残ったものひとつひとつにドラマが生まれ、これらは自分の生きた証のようにも思います。

 令和七年七月、私と離れて生活をしていた父が他界しました。棺の中に横たわるだけの父、そこには哀愁漂う人間の儚さのような雰囲気がありました。父の手もとには私が育った家や土地、車、残っていたものは何もなく、なぜ親子の縁が離れてしまったのか、一緒に笑ってくれる人が傍にいたのか、辛いとき背中をさすってくれる人はいたのか、荷物が何もないけど生活はどうしていたのか、聞きたいことがたくさんあるにも関わらず、もう尋ねることがかないません。

 辛い親子関係だった父の人生はなんだったのか、胸が締め付けられます。いずれ父と一緒に過ごした人も亡くなり、父が人々の記憶から消えていくことが悲しく思え、得も言われぬ後悔の波だけが襲い掛かります。

 私も四十五才となりました、手もとに「集めた」ものは、自らの死とともに消えてなくなります。しかし「与えた」ものはいつまでも残ります。父は私に「僧侶になってもいいよ」という自由を与えてくれました、修行に専念できる環境、必要な苦労を与えてくれました。

 もし私が寺院の息子として生を受けたのならば、実家のお寺を「家業」だと思い、ゆるい気持ちで継承していたことでしょう。しかし私は褌の尾を締める気持ちで多くのお寺で修行をし、学ぶことができました。

 在家の者がお寺の世界に入り、自立していくことは大きな困難が伴います。帰る家があるという甘い覚悟では務まりません。背水の陣で挑まなければ挫折してしまうのです。退路を断ち、絶体絶命の状況でなければ、決死の覚悟がなければ心が折れてしまうのです。

 父が与えてくれた施しが赤澤貞槙という僧侶をつくり、今日の私や妻、娘を守っています。父から受け取った助けを、自らの肥やしにするだけでなく、次の世代に伝えていく。これこそが私たちが生まれた意味の他なりません。

 自分の取るに足りない人生は、未来永劫と続く人類の営みのほんの一瞬でしかありません。ですが、自分には何が残せるのか、自分は親から何を与えられたか、考えながら子供と接する日々です。

一鮎院流翫日和居士
百ヶ日忌追善供養
南無妙法蓮華経

一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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