二佛並座のお話

住職のおはなし

日蓮宗の御本尊は「二仏並座(にぶつびょうざ)」といわれる形態です、聞き慣れない言葉ですが、これは「釈迦如来」と「多寶如来」が並んでお座りになっていることを示します。

 お釈迦様は悟りを開いたお方。多寶如来はお釈迦様の教えが真実だと証明するお方。

 お釈迦様は難行苦行の末、世の真理であるお悟りを開かれました。解脱です。これは凡人の壁を越えたということ。そしてそれを「解脱したことを許可します、認めます」と証明するのが多寶如来の役割です。

 少し難しいですね、例えばこれを政治に置き換えてみましょう。

 お釈迦様は組織のトップである首長です。下には部下であるお弟子さんがたくさんおられます。俗に言う東京都知事です。

 それに対して、首長の行いに対して審査をするのが議会です。
人間は税金がたくさん集まるとおかしな方向にお金をつかうようになるので、都政が適切な方向に運営されているのかチェックをしなければなりません。都度、審議・議決を経てまつりごとが正しい方向に進むよう、管理されます。

 首長が勢いに乗ってどんどん進むアクセルであるのに対して、議会はブレーキに例えられます。

 釈迦如来と多寶如来はわかりやすくいうとそんな感じです。知事と議会、いわゆる二元代表制です。

 仏法の真実を現わすご本尊までも二仏並座、二元代表制とは驚きですね。お釈迦さまだって無常ですから、常にチェックが必要なのです。令和七年九月一日現在、「ちゃんと今日も解脱していますよ」という証明が継続されていることが、永遠の悟りと呼ばれるのです。

 これは私たちの私生活も同様です。例えば、人間には苦労が絶えません、これは抗うことのできない摂理です。

 そして苦労とは、裏を返せば自分を正す機会です。それは個人も寺院も同じです、壁に衝突すればその都度工夫や努力をします。その結晶がよい自分やお寺をつくるのです。

 目の前に敵があらわれるのは今の自分が上昇気流である証拠であり、人生という政策がきちんと仏意(仏さまの意のことです。民意のようなもの)が反映されたものにするため、議会のようにブレーキをかけてくれる存在が出てくるのです。これを苦労といいます。

 体が快楽を求めアクセルを踏んでしまうことに対し、心のブレーキ役を担うのが信仰です。毎朝、一妙寺の袈裟をかけて、お数珠をもって、お仏壇にお題目をお唱えする。表面的、物質的なものだけが功を奏しても、信仰が伴ってなければ二仏並座にはならないのですね。

 ちなみに一妙寺の年間サポーター制度「一妙寺護持会」のロゴはこの二仏並座がモチーフとなっております。

 今月もよい毎日となりますように。

  一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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