怒りのお話

住職のおはなし

皆さまは普段の生活の中でどんなことに腹を立てますか?私は運転中、前の車が黄色信号で停まるとつい「イラッ!」としてしまいます。今いけたでしょ!となります。仏教では「怒り」というものを禁じておりますので、深く反省しなければならないのですが、今回はこの「怒り」について少し学んでみましょう。

 人体は身体に良いものと悪いものを分けて動きます。良いものは体内に残し栄養とし、害のあるものは身体の外に出します。そして心も同様に気持ち良いものはいつまでも心に残し、悪いものは早く忘れたいといった習性があります。

 しかしここで厄介なのは、心は形がないものですからなかなか外に出すことが難しいのですね。人の感情は混合物ですから時間が経てば悪性は沈殿し、良性は上に残りますので、ちょうど容器の中に残る上澄み液のような状態になります。

 そして「怒る」ということは、せっかく仏さまが仕分けしてくださった私の心の中を再び撹拌させるようなものです。「私」という字をよく見てください、「仏」さまが隠れていませんか。

 液体(心)の中で受け入れが難しかったものが沈殿物として沈み、幸せと感じたものが上澄み液に残っているので、沈殿と分ける状態を維持させなければなりません。それは例えば私の場合ですと15分早く自宅を出発すればいいのです。時間に余裕があれば黄色信号で停車した車に怒ったりはしません。上澄みと沈殿をキープできます。貯金もそうです、手元に現金がないから金策に追われてしまうのです。そして何よりも「私にとって足りないものは何もない、必要なものは全て手元にそろっている」「私はなんて恵まれているのだ、私って幸せだなあ」と思うことが心の中の上澄み液を維持する秘訣となります。

 人は合掌したまま怒ることができません、それは私の中の仏さまが幸せと沈殿物を分けてくださっているからですね。なるほど、そう考えると確かに怒りは禁物ですね。

 今月も皆さまにとってよい月となりますように。

一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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