へびのお話

住職のおはなし

私たちは大切な家族を亡くしますと供養の為にご法事を施行します。しかしながらご法要をお勤めすることが役割の全てではございません。「残された方々が幸せになる」というのも大切なご供養です。

 向こうの世界からご覧いただいても、ご家族さまが安心できるように、私たちは幸せにならなくてはなりません。そして幸せになるためには自分の仕事を頑張らなくてはなりません。

 私は住職として日々、いろんな職務をさせていただきますがその中のひとつに「ご法事を担当させていただく」ことがございます。

 施主様と連絡をとり事前に法要日時、場所を決めて執り行うのですが、例えばこの打合せや法要詳細の発送、当日の施行を含め一切を一妙寺で働く住職ではない他の僧侶に任せることもできるわけです。お坊さんも月給制なのでそのほうが合理的です。手の空いている僧侶が代行することにより住職は自分の時間を捻出でき、一妙寺でなく日蓮宗という組織の仕事に専念することもできます。
 しかしそれらの仕事を私は部下に任せることなく自分で行います。なぜなのか、それはそこに人生の副産物があるからです。

 当然ながらご法事を担当させていただくと「お経だけ読んで、終わり」というわけには参りません。施主様とご挨拶をしお互いの健康を気遣い、思い出話に花を咲かせる。なかには「住職のお話しを楽しみにしている」とうれしいお言葉をかけてくださる方もいらっしゃり、こういう施主様との物語が私にとっては僧侶としての気力を充実させる時間になるのです。

 なぜなら、一妙寺は設立当初は寂しいお寺でしたから。電話の鳴らない日々が続き、通帳の残高だけが目減りしていく毎日。そんな創業時の苦労を知っている私にとって支えてくださった皆さまとの再会が楽しくないわけないのです。

 ご法要の主役は故人様であり、目指すは丁寧に供養の読経を捧げることです。しかしながらご法事にはこういう副産物もあるのです、運営に考えれば現場仕事は職員に任せるのがよいのかもしれません、しかし従業員ではこういった果実をいただくことがかないません。施主様と初対面だったり、合理に走った寺院経営ではストーリーがないからです。

人生のうま味というのはこういう副産物に凝縮されております、自分の仕事を頑張り幸せになるとは合理に走らないことではないでしょうか。

 令和7年は巳年です。へびとは地面の中の神様ですから「大切なものは隠れている」という教えです。
 
これからも合理的に考えず、現場から産まれる幸せの果実をとりこぼすことなく、日々の仕事を全うしてゆきたいと思います。

一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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