過去帳のお話

住職のおはなし

コロナという厄災は人々の生活に大きな変化をもたらせました。それはお弔いの場面でもかわりません。

具体的には「一日葬」が主流となりました。これまでのようにお通夜、告別式という形ではなく通夜を行わず葬儀のみを執り行うスタイルです。

人々の生活や環境によってつくられてゆくのが宗教なので、変わりゆくことが摂理かもしれませんが、一抹の寂しさは拭いきれません。と申しますのも現在、過去、未来という時間軸の中で、現在から過去の領域(故人様の死を悲しみ弔うお気持ち)を形にしたのがお通夜だからです。

対して現在から未来の領域(故人様の浄土への旅路安全を祈る気持ち)を形にしたのがご葬儀です。そのために私たちは日々研鑽を積み準備を整えるわけですが、それが一日葬となると職務の内容が凝縮され、100パーセントの力が発揮できず導師として悔いが残ります。

しかし仏教は「変化することが尊い」という教えですから、私たちは時代に即応した寺院運営を心掛けたいと思います。一日葬であろうと仏事をお勤めくださる、皆さまの手を合わせていただくお気持ちに携わらせていただくことがありがたいのです。

お坊さんの修行にて時折、「あなたたちは檀信徒の方々を導いていかなければならない!」と教わることがあります。ところがこれは私が国内開教をさせていただいた経験から申しますと、正解ではありません。むしろ檀信徒の方が住職を育ててくださいます。お坊さんといえども何もない毎日が続くと自分は世の中に必要とされていないのではないかと空虚感に襲われ、元気がなくなります。電話が鳴る、人がお参りにきてくださる、お寺に人の気持ちが集まることが何よりのエネルギーとなるのです。

春は新生活を迎える方が多く、数名の方より過去帳筆耕のご依頼を賜りました。この背景にあるのは「転居にあたりお仏壇をコンパクトにしたからお位牌を整理したい」というご相談です。これは新しいお仏壇には両親のお位牌のみお祀りして、ほかの方のお位牌は一妙寺にてお焚きあげをし、過去帳にうつしかえご供養をするという概要になります。

簡易的な祭壇(一妙寺の出発がそうでした)であっても、人の息がかかったのならば立派なご本尊であるように、過去帳であってもみなさまの気持ちが伴ったお仏壇であることにかわりはありません。

一妙寺は多くの方よりお力添えをいただき立派なお寺になりましたが、まだ賃貸物件の一室で活動を行っていたとき、みなさまが「こういったお寺があってもいいんじゃないか」と認めてくださいました。同じように私たちも外見ではなく心に焦点をあてた仏事の在り方を大切にしたいと思っております。

この育寺日誌をお読みの方で、もし過去帳の筆耕、お仏壇の買い替え、処分などをご検討の方がいらしたらどうぞご相談ください。

  一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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