物語は忘れないのお話

住職のおはなし

この育寺日誌の原稿を書いている本日(3月8日)漫画家の鳥山明さんが急逝されたという知らせが耳に飛び込んできました。

 私は昭和55年生まれですのでまさに「鳥山作品世代」です。アラレちゃんやドラゴンボール、ドラゴンクエストなど子供のころ夢中になって遊びました。手の平に黄色い絵の具を塗って「かめはめ波~!」と真似をしたり、孫悟空のように修行して頑張れば「本当に空がとべるようになるのではないか」と思ったものです。

 ドラゴンボールやドラゴンクエストのストーリーは大人になった今でも忘れません。

 そうです、「ストーリーは忘れない」のです。

 たとえば私は一妙寺住職として多くの方のご葬儀をお勤めさせていただきますが、ご葬儀の祭壇の前で「法華経方便品第ニ」を読み、「法華経如来壽量品第十六」を読み、最後は「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えして閉会する。お葬式はこれで成立します。しかしこれでは「なんとなくお坊さんにお経をあげていただいた」という感想しか残りません。数年後「あのときのお経がよかった」と思い出されることもないでしょう。何故ならこれらは「お経を読むことしかしてない」から。

 しかし住職が「私はこういういきさつで僧侶になりました、お坊さんになりたくて、なりたくて仕方なかったんです。だから厳しい修行もへっちゃらでした。本日、ご遺族様に大切なご葬儀のご依頼をいただき、恐縮ながらも使命感にあふれております。修行の体験がお父さまのご葬儀で役に立ちそうです。これから49日間という長い時間をかけてお旅立ちをされるお父さまに釈迦の説法にてとかれるお心もちや、三途の川ではこうしてほしいというメッセージをお伝えしたいです。よいご葬儀をお勤めできるよう、全力で挑みます!」といったらどうでしょう、印象に残りませんか?

 人間が心を動かされるのは、単発の情報ではなく、その背後にある物語りです。みなさまも職場やご家庭、学校などでもし人間関係問題に直面したとき、ストーリーを示されてはいかがでしょうか。私が大人になってもドラゴンボールの筋書きを忘れないように、ストーリーは色あせることがありません。

  一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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