私のエネルギー源

住職のおはなし

私たち僧侶は大切なご家族を亡くし悲しまれているご遺族様のマイナスな感情が少しでもゼロに近づけるよう努力することを生き方としております。そしてご遺族様も私たち僧侶を救ってくださっているのです。

なぜなら手間暇と丹誠を込めたご供養をお勤めすることこそが私がお坊さんでいられる由縁であるからです。普段お寺にいても何もない日が続けば僧侶としての存在意義を失い空虚感に襲われます。今日も電話がなかった、インターホーンが鳴らなかったという毎日はさすがの私も元気がなくなります。  

私はお経を読むことはできますが、一妙寺を世間の皆さまに知っていただく発信力、広告力は持ち合わせておりません。そのために私どもをよく知る葬祭業者からの御紹介という形でみなさまとご縁を結ばせていただいている訳ですが、お葬式や御法事の御依頼をいただくと、大切な仏事に関わらせていただけることにやり甲斐を感じ、お勤めさせていただける度に己の空虚感から救われるのです。  

実は少し前までは業者の紹介をうけることを葬儀屋の下請け、拝み屋と揶揄されることが寺院社会にはありました。ひょっとしたら地域や宗派によっては今もあるかもしれません。しかしそれは寺院社会の課題であってご遺族様には関係ありません。菩提寺のご住職であろうと葬儀社からの紹介のお坊さんであろうと一生懸命お勤めすることが大切だと思います。仏事を勤める僧侶にはご遺族のお気持ちを昇華させる責務があることを自覚していれば、御縁を頂いたきっかけなど気にならないものです。  

僧侶としての存在意義を見出したことによって得られた満足感こそが、私の最大のエネルギー源となっています。

 

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