経典の識

住職のおはなし

  お釈迦さまは30歳でお悟りを開かれ仏陀となられた後、80歳でご入滅になるまでの50年の間、法を説き続けられたましたが、文字で書き現すことはされませんでした。これはお釈迦さまの教えを学ぶ上で大変重要なところです。つまり、お釈迦さまの説かれた教えはすべて話し言葉であり、文字を知らないものでも聞けばよく理解できたということです。

私たちの読む法華経も、お釈迦さまがご入滅のあと、経典翻訳者によって編集されたものです。中国仏教者達によって訳されましたので漢字です。平易な日本語に訳されなかったために、時の経過とともに難しいものにかわってしまいました。
経典を学ぶ上で大切なことは、本来、お釈迦さまのご説法は耳で聞いただけでわかる平易な内容であったことを心に留め、難しい字句に遭遇しても、自分でも理解できると信じることです。

しかし、経典の中に説かれている内容が、非現実的であることも確かです。

例えば、法華経ではお釈迦さまの眉間から光が出て東方の世界を照らしたですとか、大地から多宝塔が湧き出て空中にとどまったとか、大地が裂けてガンジス河の砂の数以上の高貴なる菩薩が出現したとか、今日のSF小説を超えるような摩訶不思議なできごとが連続して説かれます。

これはどう理解すればよいのでしょうか。仏教の教えはまず三界を立てます。三界とは欲界、色界、無色界です。私たちが現実に体験している世界は欲界ですが、私たちの肉眼では捉えることのできない世界を色界といいます。経典に記録されている不可思議な出来事は、肉眼ではみることのできない色界において現出した事実として受け止めてください。

最近は科学的真理以外は認めない傾向が強くなり、六道輪廻もあの世の存在も、否定されます。そのためお釈迦さまの説法が倫理、道徳の領域にとどまるものになっています。しかし法華経はお釈迦さまが実際にお説きになられた歴史的事実としての説法であると信じなければ、法華経の扉を開くことができません。

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