開教偈のお話し(9)

住職のおはなし

  「是故に自在に 冥に薫じ密に益す」

私たちは己の本質が魂としての霊であり、光であることをしっかりと自覚しているわけではありません。むしろ大半の人々は肉体としての自分こそがすべてであり、幸せとはどれだけ形あるものを集められるかによると信じています。私たちはいつも自分の安全、安心を保障し、自分を優位に立させてくれる形あるものを手に入れることで生きる充実感を得ようとします。

しかしお釈迦様は人は物や形にとらわれれば、とらわれるほど苦が増すと教えられ、あらゆる苦しみの本質は我欲にあると示されて、物欲、我欲からの解放を教えられています。法華経が約束するご利益は、心の解放であり、魂の浄化であり、心力の増大です。宗祖日蓮大聖人のご生涯に想いを馳せてみてください。ご一生の中でこの世的な幸せ、物質的な満足や快楽が一度でもあったでしょうか。この世的な名誉に預かられたことがあったでしょうか。大聖人のご生涯が忍辱につぐ忍辱ではなかったでしょうか。

一方で大聖人はご自身を日本一の富める者であると自負されています。何に富んでおられたのでしょうか。それは偏に慈悲の心が勝れているからだと述べておられます。心が豊かであるとは、何かを貰う豊かさではなく、見返りを求めない施しにあります。法華経信仰の御利益はここに極まっております。人はもらう人よりも与える人になれてこそ、本当の幸せが得られるのです。

「冥に薫じ」とは目には見えない心の世界に妙法の光が射すことをいい、「密に益す」とは何一つ物が増えたわけではないが、自然に心が満たされてくることを言います。人は余分なものを捨てれば捨てるほど心は満たされてゆきます。

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