法華経のお話し(1)

住職のおはなし

  法華経はお釈迦様がお説きになられた教えの中で、最も分かり易く説かれた教えです。その為、素直な心、まっすぐな心で法華経を学ぼうとすれば誰でもその意味がわかる教えです。

一方で法華経は最も信じ難く、最も理解し難い教えであるとも説かれています。 一方で易しく説きながら、一方で難しい教えというこの矛盾はどのように理解したらよいでしょうか。

法華経が分かり易い教えであるという理由は、「究極の真理は単純」であることに所以します。 究極の真理とは「私たち人間の本性は、神仏そのもの」という教えです単純にして明快、補足的な説明のいらないシンプルな教えです。

法華経が理解し難い教えであるという理由は、「このシンプルな教えを理解し、実践することが容易ではない」ことに所以します。 ここで私のいう「理解」とは、心の琴線に触れる理解、全身全霊をかけての理解、魂が震えるほどの感動を伴った理解という意味です。

このように理解した心が様々な障害や困難に出会ったとしても、微動だにしない心が信心と呼ばれるものです。 今日この一妙寺のお経の会で、私が皆様に何の前触れもなく「人間の本性は神、仏です」といわれても、住職は何をおっしゃってるんだ?となるでしょう。感動するとか、随喜するということにはなりません。 言葉の意味はわかるけど、それが一体全体私の人生と何の関係があるの、というのが私たちの偽らざる実感です。

以上のことから、法華経は易しく説かれているけど、理解し信じることが難しいことがお分かりいただけたでしょうか。 いつも皆様と読む自我偈の中に「顛倒」という言葉が2回でてきます。「顛倒」とは逆さまになっているという意味です。何が逆さまかというと、私たちの物の見方、考え方が逆さまになっているということです。本来は正しいものなのに、間違っていると見、本来は大切なものなのに価値のないものと見てしまう、これこそが己に内包する神仏を隠してしまう原因です。

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