葬儀で記憶に残るお坊さんに 東京・日蓮宗一妙寺

メディア掲載

「お母様、わたくしは日蓮宗一妙寺住職の赤澤貞槙と申します。このたびご縁を賜りまして、昨晩のお通夜と本日の御葬儀を御遺族の方とともに謹んでお勤めさせていただいております。これから49日間という、長い時間をかけてあちらの世界へお旅立ちになられますお母様へ、お釈迦様のお教えをお伝えいたします。これを仏教の言葉で引導文と申します。」

日蓮宗の葬儀で導師が故人に読む文は「引導文」という。冒頭は東京都国立市の日蓮宗一妙寺の赤澤貞槙住職(32)が80代の女性に読んだ引導文だ。が、かなり驚く。故人を「お母様」と呼び、話し言葉で親しみを込めて語りかける。手元には奉書のたぐいも見られない

一妙寺は3年前の平成22年、赤澤住職が布教所として民家に立ち上げたお寺だ。檀家はゼロだったが、熱心で心のこもった法務が評判となり、今、信徒は300人になっている。赤澤住職は「お式は参列者はもちろん葬儀社さんや仕出し屋さん、花屋さんにまで法を説くつもりで務めています」とはつらつと話す。「宗定法要式 平成版」には引導文の参考例が次のようにあげられている。少し長いが全文を引こう。  中略  以上の構成をみると、まず、釈尊と日蓮聖人を道場に勧請してから故人の来歴を述べ、日蓮聖人の教えを織り込み、安心して浄土へ行くようにと教え諭しているのだ。

赤澤住職も前後の部分はこの文語調の基本文例をアレンジして読んでいるが、中ほどの故人の行状を伝える場面になると一転、話し言葉でやさしく語りかける。それにはこんな思いがある。 「日蓮宗にはきちんとした引導作法がありますから、私のしていることは余計なことといえます。ですが、参列者にも儀式の意味を分かっていただきたいので、あえてやっているのです。」

新寺である一妙寺には元々、檀家がないため、葬儀で初めて施主と顔を合わすということが多い。そこで通夜振る舞いの席で遺族から故人が好きだったことや仕事、人柄などをじっくりと聞き、寺に帰ってから徹夜で引導文を考えるという。原稿にはせず、すべて暗記して唱える。 「最近は葬儀社が故人の来歴をナレーションで入れることが多く、そういう時は引導文では来歴を割愛するなど、その場に合わせて考えます」と工夫している。

赤澤住職は川崎市の在家に生まれたが、信心深い祖父母の影響か、14歳の時、人生を決める出来事を経験する。 「身延山の大本堂をお参りしたとき『お坊さんになりなさい』と聞こえたんです。日蓮聖人の声だと感じました」 中卒後、迷わず総本山身延山久遠寺の門を叩く。立正大学卒業後はいくつか都内のお寺に勤め、多くを学んだという。「住職より私のような若僧のほうが気軽だったのでしょう。檀信徒の方から様々な本音を聞くことができました。みなさんが最も疑問に感じているのは、お坊さんがお葬式で何をしてくれているのかわからない、高いお布施に見合ったことをしてくれていない、ということでした。」 「いつか自分のお寺で布教したい」と考えていた赤澤師。ちょうど日蓮宗が「国内開教師」という新制度を始めた。日蓮宗寺院の少ない地域で布教し、新寺建立を目指せば、4年間の任期中、助成が受けられる。応募すると第1号に選ばれた。

が、簡単ではなかった。「お寺を開きたい」というと不動産屋にことごとく断られた。ようやく借家を見つけ、平成22年11月お寺を開いた。最初は仏具もなく、段ボールに布を掛けて祭壇にした。法話会を開き、地道に布教活動をした。とはいえ、「山門のないお寺だと施主の安心が得られないので、葬儀社も葬儀を紹介してくれないと分かりました。」

奮闘する赤澤住職を応援してくれたのはお寺の住職たちだった。葬儀や法事を回してくれた。赤澤師は一つひとつの機会を逃さず、「参列者の記憶に残るお坊さんにならなければ」と、特に通夜の法話と引導文に力を入れた。その結果、遺族や参列者に「感動した」「分かりやすかった」と喜んでもらえ、「自分の時もお願いしたい」と口コミで葬儀の依頼が増えていったのだ。現在は近隣に約60坪の土地を購入し、本堂と庫裡を建設中だ。

葬式離れが深刻な世相にも「そんなことはありません。ものすごく広い布教の可能性があります」と前向きなのだ。

【記事紹介】寺門興隆2013年10月号掲載

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