賃貸物件からの出発

メディア掲載

 東京都国立市。両隣の立川市、国分寺市からそれぞれ一字ずつ取って「国立」と名付けられたこの土地は、人口約7万4000人の新興住宅地であり、一橋大学を擁する学園都市でもある。
昨年11月、JR国立駅から南に徒歩15分の場所に、日蓮宗初の国内開教寺院・国立布教所(赤澤貞槙住職・30)が産声をあげた。妻と子の3人だけの開所式。凍てつく雨の中、敷地の四方を酒で清めていく。新興住宅地の中の一軒家の賃貸物件で、ひっそりと青年僧の人生を賭けた挑戦が始まった。

 日蓮宗では、昨年4月に施行された国内開教規定にともない、国内開教師となる人材を宗内で募集。所管部へのプレゼンテーションを経て、赤澤住職が国内開教師第1号に選ばれた。選考で特に評価されたのは、綿密な事前調査。赤澤住職は、他宗の寺院を訪問し、現場の苦労を聞いて回ったという。「できることは何でもやろうと思いました。絶対成功させたかったし必死でした」(赤澤住職)

 特に候補地の選定には、徹底した調査を実施。まず人口推移にこだわった。国立市はこの少子化の時代に5%以上の人口増加率を誇り、平均推移を見ても20年後も増加が見込める地域であることが判明した。無数の候補地の中から国立市を調べるうちに、あるデータに目を見張った。住民の居住形態に関するものだった。この地域は、元々住んでいた住民は既に移転しており、借家世帯が半分以上を占めている。そこから菩提寺がある住民は全体の1割で、大半の世帯主が郊外より転入した次男、三男であること、全世帯の9割が菩提寺を持たないことが分かった。

 「驚異的な数字でした。日蓮宗寺院が少ない地域に行けば、その土地の日蓮宗信徒が来てくれるだろうと思いがちですが、そうではない現実が浮かび上がりました」と開教への認識も改めた。このデータが決定打となり、赴任地として国立市への思いを強くした。 11月開所、”育寺”に奮闘中  墓地もなく檀信徒もないスタート。当面は宗門からの助成金が生命線となる。日蓮宗の国内開教師への助成金は4年間。当面の目標は5年目から自立できるようになることだ。その後は、土地建物の取得や宗教法人格の申請を目指すことになる。しかし、今何よりも重視しているのは「縁」作りだと赤澤住職は言う。「信徒さんとの出会いも縁。例えば物がなくても、その状態というのは協力して下さるお寺さんや信徒さんと縁を結ぶきっかけにもなり得る。ピンチをチャンスに変えるのが縁だと思います。どうです。ワクワクしてきませんか」地元の宗務所や寺院の縁、これまでの人生で紡いだ縁。これからも出逢う人々、すべてに感謝をしたいと赤澤住職は国内開教師となった喜びを噛みしめる。

 開所して1ヶ月半、初めて「お経と法話の会」を開いた。残念ながら地域住民の参加者はなかったが、市外から住職夫妻の知人、男女5人が参加した。会の前日は「もし誰も来なければ、家族だけでやろうと覚悟していました。緊張してあまり眠れませんでした」という赤澤住職。

 手製の経本、前日深夜まで練りに練った法話。ひたむきにまっすぐと目を見て教えを説く住職の法話に、参加者はいつしか引き込まれているようだった。
法要では小さな奇跡が起こった。参加者が住職の声に隠れ、小さな声で読経していたので、住職の声が息継ぎでかすむと読経が途切れてしまい、ある種の気まずさが漂っていた。しかし、法要の終盤には声を張り上げ、住職の声を補うかのように御題目を唱えていた。単に読経に慣れただけではなかった。

 「素晴らしかった。とても良いお話でした」。法要後、参加した男性の1人は、会の感想をそう語った。気持ちのこもった法話が、法要での参加者の読経を後押ししたらしい。こうした小さな出来事の積み重ねが、寺院としての空間を醸成するのだろう。第3号を数えた寺報「育寺日誌」には「八畳から始まる小さなお寺」と題して、赤澤住職の思いが綴られている。「ご覧のような仏間ですので立派な伽藍がありません。しかし仏様のお話をさせていただくその場所が法華経の道場となります」「みなさんと共に一から作っていく新しいカタチのお寺を目指し努力精進していきたい」

 熱心に法を説く僧侶がいて、お題目を唱える人がいる。仏間として使われた八畳一間のリビングは、この時ばかりは、さながら立派な本堂のような雰囲気があった。青年住職の”育寺”から今後も目が離せない。

【記事紹介】仏教タイムス2011年1月号掲載

ピックアップ記事