合掌のお話 2025.04.01 住職のおはなし みなさまは「鬼は外」と「福は内」、どちらかひとつといわれた場合どちらを選びますか?おそらく多くの方が「福は内」を選ばれると思います。 しかしながらお釈迦様の説法に照らし合わせて物事を学びますとこの「鬼は外、福は内」というのはいささか矛盾が生じます。 どういうことかと申しますと、自然の摂理として「どちらかひとつ」はあり得ません。光があれば必ず影が生まれます。美味しいものをいただけば排泄があります、つまり一見対極にあると思われているものが本体はひとつであり、背中合わせということです。 人が生まれることと亡くなること、全く違うことのように感じますがどういうことでしょうか。 人が亡くなるというのは、向こうの世界の人間が一人増えるということです。四十九日間という長い時間をかけて旅立つわけですから。そして、人が生まれるということは向こうの世界の人間が一人減るということです。十月十日かけてやってくるわけですから。 なるほど、向こうの世界の存在や力の働きを盛り込むことによって矛盾が解決されるわけですね。確かに私たちが今でも忘れられない喜びというのは、苦労や逆境を乗り越えた後の喜びです。反対に簡単に手にした幸せほど、案外すぐに忘れてしまいます。本当は自宅から駅までアスファルトが敷いてあるだけでとてもありがたいのですが、毎日のこととなるとついその恩恵というものは忘れてしまいます。 結局、人間は楽しいことと辛いこと、同じだけ経験するのが一番よいのです。右手と左手、同じ大きさのものが50パーセントずつひとつになる、対極にあるもの(苦と楽)がひとつになる仏教の一番基本的な考え方、これが合掌の教えです。「鬼は外なら福も外。福は内なら鬼も内」。お相撲でいったら十五勝する横綱ではなく、七勝七敗一分くらいにしておきましょう。 今月も皆さまが穏やかに、心豊かに暮らせますように。 一妙寺住職 赤澤貞槙 拝 住職のおはなし 第169回お経と法話の会春季彼岸會 ピックアップ記事 住職のおはなし 住職の叫び 2021.02.01住職のおはなし