ドラえもんのお話

住職のおはなし

仏教は「感謝する教え」です。
感謝するとはどういうことでしょうか。それはお寺の本堂や自宅のお仏壇、またはお墓などでご先祖様に「いつもありがとうございます」と申し上げることです。

 お願いごとをかなえてもらうことはあらゆる宗教に期待される役割ですが、日蓮聖人は「恩を知るが第一」とおっしゃられました。それは「○○をください」という今の自分にはないものを願うのではなく、「おかげさまで足りないものはありません。全てそろっています。」と今の自分には全てあることを感じることです。

 人は感謝をするとどうなるのでしょうか。人は感謝をすると「他人と比較する人生から卒業」することができます。

 今はSNSが横行し「いいね!」をもらわなければ、「自分は世の中に必要とされていない」と思ってしまう時代となりました。「フォロワーが多い人が人気、フォロワーが少ない自分は負けている」と思ってしまいます。

 しかしながら感謝をすれば、人と比較することがなくなります。すると自己肯定感をあげることができます。自らの価値や存在意義を肯定できるとその先にはもう幸せしかありません。

 幸せは誰かが用意した見本があり、それに近づいたり、似せたりすることでなるものではありません。私って幸せだなあと実感して初めて人は幸せになることができます。

 毎週、ドラえもんの秘密道具に助けられているのび太君。ドラえもんに助けてもらい難を逃れますが、1週間後にはまた別の問題が襲ってきます。また助けてもらい・・・そんなことをもう50年も繰り返しております。(ドラえもんは2020年が放送50周年でした)

 そこでのび太君は育寺日誌を読んでふと思います。「僕に必要なものは全てそろっていて、秘密道具はいらないのではないか」と。よく考えたらタケコプターやどこでもドアーは社会を壊してしまう。
(失業者の増加、完全犯罪が成立する世をつくってしまうなど)

 生きづらい世の中になってから初めて人間は気づきます。ドラえもんのいない世の中が一番よかったと。そこでドラえもんは秘密道具を不要とし、身辺をすっきりさせました。もうポケットの中には何も入っておりません。私はこういう最終回を期待しております。

「ミニマリストになったドラえもん」

 自分にとって必要なものは全てそろっている。みなさまいかがでしょうか。

  一妙寺住職 赤澤貞槙 拝

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