縁起、御本尊 一妙寺の縁起 宗教法人一妙寺は、創始者赤澤貞槙が、平成22年10月日蓮宗初代国内開教師の辞令を賜り東京都国立市内に賃貸物件による布教所を設け、国立市を中心とした地域において、布教を展開したことに始まります。 檀家ゼロ、仏具ゼロ、あるのは健康な身体と志だけというスタートでしたので設立当初は段ボールで創作した手製の祭壇による宗教活動を行っておりました。地道な活動を行っていた私共ですが、平成24年9月一本の電話をきっかけに転機を迎えます。 身延山志摩坊より御本尊をお迎え 「もしもし、赤澤さんですか?私のお寺の本堂に眠っているご本尊さまがいらっしゃいます。もしよければ一妙寺にお迎えしませんか?」 電話の主は身延山志摩房住職、佐藤順行僧正でした。 思いがけない内容に信徒一同驚愕致しました。しかし乍らこれは私どもにとりましては願ってもないお話であります。何でも新しく自分で買い揃えるのではなくて既にあるものを大切にしてゆくことを活動方針と致しておりましたので、佐藤僧正の御好意に甘えさせていただきました。 不思議なできごと その後不思議な出来事もありました。長年病に伏せていた母がご本尊様さまをお迎えしたその日に浄土に旅立ちました。迎えたご本尊さまに奉げる初めての読経が母の枕経となりました。「息子がつくったお寺にお越し下さったご本尊さま。これは母として何としてもご挨拶をさせて頂かなくてはならない。しかし自分の身体は病に侵され動くことができない。(母は脳内出血を起こし10年間意識のない植物状態でした)それならばこの自由のきかない身体など不用、魂だけでもお参りさせていただきたい」自分の身体から魂を抜いた母は遺体となって、一妙寺へやってきました。 身延山より一妙寺へ遷座されたご本尊さまは威光を放たれ、私どもに布教の勇気と希望を与えてくださいました。実際にこの日から一妙寺は成長の歩みを加速致します。創設3年後には信者は100人を超えました。本堂建立の声も次第に高まり、信徒からの浄財と金融機関からの融資によって土地を購入。本堂、客殿の建築においては心ある職方たちの卓越した技術によって、高い評価をいただくお堂を建立することができました。 寺院としての宗教活動、財産ともに充実しましたので、平成29年8月所轄庁より宗教法人規則の認証を受けることもできました。身延山志摩房に鎮座されていた御像は平井妙光法尼によって色彩が施され、法尼遷化後御尊像は身延山志摩房へ戻り、今現在は一妙寺へ在られます。身延山では全国からの信徒さまの願いを背負われたことでしょう、先師のお志を色褪せることなく発信するためには勤行しかありません。一妙寺は今日も信徒の皆さまと祈りたいと思います。 大曼荼羅御本尊 / 大荒行堂祈祷本尊 御本尊 / 一塔両尊像 一塔両尊像御奉納「株式会社オリエンタルランド 加賀美俊夫さま」御奉納「清水建設株式会社 下田武生さま」台座彫刻 「松」台座彫刻 「竹」台座彫刻 「梅」 日蓮聖人説法像 / 身延山志摩坊より遷座 帝釈天御尊像 / 身延山感井坊御分体 宝冠、襟元に帝釈天紋稲妻と須弥山背面 須弥山と善見城と雲海 肩辺りに鳳凰 尾は千眼をあしらう台座雲プラチナ箔宝剣プラチナ箔 鬼子母神御尊像 / 日蓮宗大荒行堂持仏 鬼形鬼子母神ザクロ紋の着衣日蓮宗大荒行堂鬼子母神像と同じ台座模様