落慶法要の御礼

4年前に東京都国立市におこした日蓮宗の小さなお寺。畳8枚の賃貸物件の一室に段ボールで作った祭壇、仏具ゼロ、檀家ゼロ、あるのは私の健康な身体と志、何もなかった一妙寺がこの度めでたく開山落慶法要を盛大に執り行うことができました。
 
 お寺づくりを始めた私たちがつくったものは、規格化された仏事とは違い、ご信徒さまお1人お1人のそれぞれ違う想いを形にしていくことでした。

 特に読経後の法話にこだわりを持ち、仏事は見える部分だけでなく、すべての感覚を通して感じ取る気配が心地良さに影響します。それは亡くなった仏さまが主役ではあるが、手をあわせる私たちにとっての仏事でもあるという部分です。

 「信仰は生もの、ノウハウだけでは完成しない」というこだわりと、ご信徒さまの敬虔なお気持ちの積み重ねが此度の慶事を生みました。私ひとりの力ではこの浄行は達成できませんでした。
ご協力いただきました皆さまへ衷心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました。

そして今日まで私どもをお育てくださいました国立市を管轄エリアとする日蓮宗東京西部宗務所三多摩組寺院の皆さま、国内開教発展の為に尽力くださいました宗務院担当スタッフの皆さま、多くの方のお力が集まり、一寺を建立することができました。

ありがとうございました。

「日蓮宗僧侶として在り続ける」という事は並大抵の事ではなく、その道は大変厳しいと、今改めて思います。
教学、布教、修法、声明・・・と習得すべきスキルは複雑多岐に渡ります。
それぞれ違った世界の中に身を置き、勉強する。各分野の師より教えを乞うということは、自分の有無を申さず忍辱の鎧を着し、ただひたすらに耐え忍ぶということ。すると一縷の感性が養われ、事を覚え、感覚的なところで僧侶としてのスキルが育っていく。

これからも努力を怠らずに「続けていくこと」が、日蓮宗僧侶で在り続けることだと思っています。

2014年11月15日