雑巾のありがたみ

【今月は東京都品川区、摩耶寺にお勤めの渡邊源昇上人よりご法話を賜りました。】

 私は長崎市内の生まれで赤澤上人と同じように15才の時に身延山で修行をさせていただきました。
 起床し朝勤といって本堂にてお経をあげ、掃除をして学校へ行きます。学校から戻るとまた掃除。その後、夕方のお経をあげて、先輩のお世話などをして、最後にまた掃除をして床に就きます。


 一年間ほぼ掃除。中でも私が一番大変だったのはトイレ掃除でした。身延山は総本山ですから一日何百人、多いときで何千人という方が御参詣されます。その方達が使われたトイレを一年生が素手で掃除をします。夏は臭いがします、冬はあかぎれした自分の指からばい菌が入ります。先輩は雑巾をくれません、何で私達は素手でトイレ掃除をしなければならないのか、便器に手を突っ込まなきゃいけないのか、何でこんなに苦しまなければならないのかと思いました。

 一年が経過し、二年生になると先輩から雑巾を渡されます。中学時代の自分を振り返ってみますと、私は何ひとつ不自由ない暮らしをしておりましたので、汚い雑巾は捨てておりました。
しかし、その一年間の経験、苦しみがあるので今は雑巾の有難味が分かります。普段の生活の中でトイレをお借りしたとき、その時の経験があるから、このトイレを掃除してくれた人がいることに気付きます、トイレを掃除する為に、道具を作ってくれた人がいることに気付きます。

 苦労をすることで、人の苦しみを分かることができました。

2013年10月15日