法華経は実相の教え

仏教は自業自得の思想です。「今のあなたは作ったのは昨日のあなたであり、明日のあなたを作るのは今のあなたですよ」

自分の心が経験する世界を作ります。私達は日頃の生活が幸せならば問題ありませんが、不幸であるなら考察の余地があります。

厄介なことは、こちらの世界は物質の世界ですから、不幸の原因が自分の心にあることが分かりづらい世界であることです。
もしこれが、「自分の信念によって喚起された感情で不幸を感じている」ことが理解できるならばこの世に被害者、犠牲者という言葉はありません。なぜなら、自分の考え方でその結果を招いたのですから、被害者はおりません。

でもこちらの世界は、それが言葉では理解できてもなかなか体験としては分かりません。

例えば、中央線が人身事故にあい、足止めを食ってしまった場合、「ああ、無常だなあ・・・」とは思えません。
事故の詳細や復旧の情報を求め、自分に起きた災難に対し、気持ちを納得させます。関係のない駅員さんに罵声を浴びせる方もいらっしゃるでしょう。

人は不幸が起きると、原因を追究します。原因を追究しますが、自分の信念そのものを追究しません。仏道修行とは、辛い目にあい、気持ちが破たんしたとき、自分の信念そのものを検証することを仏道修行といいます。
信念は普段何気なく使っているものですから、意識するのはとても難しいものです。

法華経は実相の教え(じっそうのおしえ)です。実相とは「今の自分のあるがままの姿をみる」こと。

これは自分の言葉や行動を、もう一人の自分が観察することをいいます。

自分のことは自分がよくわかっています。何が好きで、あれが嫌いとか。でも自分のしていることをよくわかっている理解と、もう一人の自分が他人のように自分をみて、観察して、得た理解とは全く違います。

後日、ほとぼりが冷めて穏やかな日常に戻ってから、ビデオテープを見せられた。そこには鬼の形相で駅員さんに罵声を浴びせている自分が映っていた。とても恥ずかしくなり、自分の知らない一面を知った。これが実相です。この実相の教えによって自分の信念を意識することができます。

2013年09月15日