背負う荷物のお話

「今は不幸だ。でももしあの時に別の選択をしていたら、今の苦しみはなかった」

どなたにもこのような反省をされたことがおありではないかと思います。人生には選べる分岐点があります。右か左か、自分は右を選んだから苦労したが、あの時に左を選択していたらこの苦しみはないと考えるのが私達です。
でもお釈迦さまはこうは説きません。

反対を選択したら今経験している苦しみがないのはわかります、でもこちらの道を選んだからといって苦しみがないわけではありません。それよりも隣の芝生は青く見えるということに気付いてくださいとお釈迦様はおっしゃいます。
我々は反対側を選べば良かった・・・と考えてしまうようにできています。

人には背負わなければならない荷物があります。その荷物を放棄することはできます。しかし放棄をしてもその荷物はまた後日、形を変えてやってきます。

前からある荷物と後から形を変えてやってきた荷物とどっちが楽か、比べますと前からある荷物のほうが楽なようです。宇宙の嫌な法則です。

しかしこの荷物にはもう一つ特記事項があります。それは「荷物を背負うと他の事で苦労しない」という法則です。

私は在家出身で僧侶の道に飛び込みました。僧侶になる為に山で修行をしたのですが、修行僧の9割はお寺の御子息でした。従って修行のカリキュラムもお寺の御子息を前提としてできあがっているものでした。

細かいことですが、修行僧の見送りやお迎え、洗濯物の世話など現金を所持していない修行僧にとって実家からの後援なしでは困難なことが多くあります。実家のない私にとってこれはとても難儀なことでした。

他の修行僧よりも大きな荷物を背負っての修行でしたが、身体は守られました。正座や厳しい日課の生活で体調不良を起こす修行僧が大勢おりましたが、私は元気に修行ができました。

人は相手の良い部分ばかりみて、背負っている後ろの荷物をみようとしません。どんな方にも荷物があります。そしてその荷物に守られていることもあります。

お釈迦様の説く「正見(ただしい見方)」とはこの目には見えない背負っている荷物をみることです。

2013年06月15日