日蓮宗の荒行

列島は寒気を増して参りました。この時期になると「日蓮宗100日大荒行」を思い出します。


日蓮聖人の兄弟抄というお手紙には「(自分)の心を師とすれども、心を師とせざれ」とあります。これは六波羅蜜教の経文の語句なのですが、私は荒行をしてこの言葉を素直に感じることができました。

それは、人間の心は自分で作ると思いがちですが、そんなことはないということです。

むしろ環境の影響が大きく、人の心は常にかわっている。瞬時、瞬時に作られている、日常生活の中で100日間水をかぶるのは困難ですが、荒行僧のまとう麻の袈裟を掛け、結界の中に入ればおのずと覚悟が決まり、こなせるものです。

自分の人生の舵取りを、自分の心に任せてはならない―気ままに動く自分の心にしたがってはならない。

100日間、余計なことを考えず、ひたすらにお経を読み、読みまくり、読みふけっていた私の心は荒行という環境がつくりあげたものでした。

原発事故では、自己弁護を並べた東電の役員方に会社組織の厚顔をみました。法華経では自分の心が世界を作ると説きますが、皮肉なことに環境は自分の心を蝕む悪にもなります。自己弁護が悪かどうかはわかりませんが、きっと生きにくいでしょう。

昔話の出だしですが、おじいさんは山に柴刈にいきます。煮炊きや暖をとるために。
おばあさんは川に洗濯にいきます。汚れたものを洗い落すために。

食、住、衣とそろいました。もうこれで十分です。用もないのに出かけない、余計なことはいわない。その尊さを教えてくれたのが私の荒行でした。

2012年10月15日