価値の序列

 皆様は「地獄」を信じておられますか。見たことがないのでわかりませんが、私は針の山や血の池というのはないと思います。一妙寺にもここに「地獄絵図」が掲げられておりますが、これは作者が頭の中に地獄のイメージを抱きながら筆を運ばれたものでしょう。

 向こうの世界というのは「形のない世界」です。あの世は物質世界ではありませんから、例え地獄でもそれはイメージとなります。
 ただ、人間は苦しいところと説いてもなかなか理解できません。その為、苦しみを具体的にわかりやすく物質に置き換えて説明したのでしょう。

 人間は形があって信仰ができます。夫婦の関係とよく似ています。言葉や行動がないと、なかなか心を伝えることができません。形があれば緊張感がもてます。形のない信仰は継続が難しく、馴れ合いになります。

 実は「形」をもって顕すのは、これは私達が信仰を保つための手立てであり、本来の目的は別にあります。

 それは形を無くしても緊張感のある信仰、声のないものや、目に見えないものに心を尽くす信仰、これが法華経を信仰することであり、立正安国論の「信仰の寸心」とはこの部分に当たります。

 なぜなら苦しみの原因は「価値の序列」にあります。「サトリを開く」「ホトケになる」とは価値の序列を作る物質の世界ではなく、序列のない精神の世界で生きることだと思います。そして理想は、この物質の世界の中に序列をつくらない精神の世界をつくることだと思います。
 
お寺は社会的な地位や所属する階級を問わず、誰もが平等に帽子をとり、姿勢を正し、御本尊に礼拝をされます。お寺に来て落ち着くのは、人の間に価値の序列がなくなるからでしょう。

カタチは序列を生み、物質世界(苦しみの世界)の源泉がここにあります。

2012年10月01日