椎地四郎殿御書のお話

日蓮大聖人の伊豆御法難750年にあたり、聖人の御遺文より「椎地四郎殿御書」「船守弥三郎許御書」より学んでみたいと思います。

「法華経という人々を救う大きな船の、材料となっているのは法華経以前に説かれた経典である」という文章が見当たります。四味八教といわれる種々の教えも最後は法華経にまとまるという意味で、法華経のポイントは「不二(ふに)」と呼ばれる思想です。

即ち「二つじゃないよ。一つだよ」ということであり、邪と生を分別して考えるのではなく、光が少ない状態を闇というだけであることを、理解しなければなりません。

 幸せとは自分の思うように世界がまわること。ところが我々は自分がどうなることが幸せなのかを知りません。
 分からないからどうするかというと、周囲で幸せそうにしている人と同じ物を欲しがったり、していることを真似します。人まねの幸せを求めていませんか。

人まねの幸せのことを欲望といいます。欲望は手に入れる為に苦労が多く、手に入れたあとはすぐに飽きます。豊かでも満たされないということが起きてしまいます。

 本当の幸せは御自分の内側、潜在的な意識の中に眠っているものですが、これを発見するのはとても難しいことです。発見する為の努力が求められます。自分のオリジナルな幸せの追求は日蓮聖人の御生涯にも見受けられます。
 伊豆の御法難で地頭の伊東八郎左衛門の病脳平癒の祈願を依頼された時も、「あなたは病を治すような功徳を積んでいない」と拒否されました。罪人として伊東へ流された立場にありながらも、ひるむことなく法華経の在り方を尊重されました。遂には地頭が罪人に諭され、赦免となります。
 
自らの命をどう使うか、使命に生きることが、オリジナルな幸せに生きることの一助となります、法華経の行者の祈りの叶わぬことなしという金言はここに結ばれます。

2012年06月01日