我が家のお雑煮

お雑煮は心に根差した食べ物であるようです。その土地土地、家々に流儀があり、こればかりは我が家流でないと落ち着かないという方が、このご時世にも多くみられます。

 お寺での生活、住職という職務は「宗教とは何か-」を常に自問致します。最近はその答えがお雑煮に辿り着きました。つまり「こればかりは我が家流でないと落ち着かない」というのが宗教なのです。

 年あらたまる淑気の中、「我が家のお雑煮」に一族の再会をかみしめる方もおられると思います。人が往き来して、仲睦まじく(むつまじく)する故に正月を睦月と呼ぶようです。

 水入らずの団欒を、外の寒さが引き立てる情景を思い浮かべずにはおられません。

 かって津々浦々に、その地ならではのお雑煮を生む風土と暮らしがありました。宗教と同じです。同じ無病息災、厄除けのお祈りにしてもその土地土地の彩があります。

 寒水に身を浄めるお祭りが話題を呼べば、燃え盛る炎に邪気を退散させるお祭りも話題となります。

 戦後の日本は都市中心の繁栄を築いてきました。過疎地に原発を林立させてきた背景には「合理化」という栄華と便利を求めた姿勢にあったと思います。生産性の追求は、時として人の心を踏み台にする怖さを持ち合わせます。幸せとは何か?それは我が家のお雑煮を大切にしたい気持ちと同義ではないでしょうか。いつの時代も宗教が進むべき方向を、合理化とは対極にある、心のゆとりを示してくださいます。

 列島は寒の入りをくぐりました。これからが冬本番となります。今年もお題目を唱え、寒修行に励みたいと思います。太鼓の音、歩く道のり、先人達より受け継がれてきた寒修行を、我が家のお雑煮の如く「宗教の偉大さ」しかと踏みしめたい。

2012年02月01日