鬼子母神様のお話【2】

「日蓮宗のお寺やお仏壇には鬼子母神(きしもじん)という子供を抱いた神さまをお祀りします。」というお話しを前回書かせていただきました。
鬼子母神のお姿を木に彫って祀ったのが「木像」。描いて表装したのが「掛け軸」です。

お寺には「木像の鬼子母神」、
お仏壇には「掛け軸の鬼子母神」というのが一般的です。

しかしこの二つの鬼子母神はよくみるとお顔が異なります。

お仏壇の鬼子母神は左手に子供を抱え、右手には吉祥果を持ちます。(イラスト参照)
お寺の鬼子母神は鬼の形相をしております。これは法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものとされています。(イラスト参照)

一妙寺の新年祝祷会で皆さま配られますお札にはこの「鬼の顔をしたほうの鬼子母神」が描かれております。鬼子母神は日蓮宗祈祷におけるご本尊なので、その本山(日蓮宗荒行堂)にはとても大きな鬼形鬼子母神がお祀りされています。荒行を志すお坊さんは十一月になると、この祈祷本尊の本山である日蓮宗荒行堂に集まります。

自己責任で二月十日までの百日間、一日二食のお粥と、喉がかき切れる程の読経三昧。一度も外に出る事なくずっとお堂の中に籠りひたすらお経を読み込む過酷な修行を行います。

私の声がかすれているのは、この時の修行の後遺症です。

荒行堂から聞こえる読経の声が途切れることはありません。そこは現代の便利な社会とはかけ離れた空間です。命を懸けて修行に打ち込む荒行僧たちの決意がお堂全体にみなぎっています。その荒行堂の祭壇には小さな鬼子母神像が百体以上並びます。荒行をするお坊さんが持参した鬼子母神像です。

百日間お経のあがった鬼子母神像を自分が住職をつとめるお寺に持ち帰り、その功徳を信者の皆さまへ与えることが日蓮宗信仰の伝統なのです。

修行僧は一日、一日を必死にやり抜きます。頬はやせこけ、身体の異変も感じます。しかし辞めるわけにはいきません。自分を飾るきれいなものは全てそぎ落とされ、素の自分が丸裸にされます。「私は荒行をやり抜く」という気持ちだけの世界です。おのずと怖い顔になります。

ああ、荒行堂の鬼子母神さまがこんなに怖い顔をされているのは自分たちを映しているのだなと感じたものです。

2017年02月01日