国内開教師の奮闘


 日蓮宗国内開教師第1号となった赤澤貞槙師(30)が昨年11月、東京国立市に開設した日蓮宗国立布教所。宗門から向こう4年間の助成はあるものの、借家の布教所、信者ゼロ、仏具も揃わない厳しいスタートだった。開所から4カ月、国立布教所が初めて迎えるお彼岸を控えた2月27日、「育寺」をスローガンにゼロからお寺づくりに挑む赤澤師を訪ねてみた。 この日は国立布教所が月に1回開催している「お経と法話の会」が行われ、男性2人、女性3人の計5人が集まった。開設当初、段ボール箱に風呂敷を掛けてこしらえたというご宝前も少しずつだが整備されてきた。一般の家のリビングに相当する部屋にしつらえられてご宝前は「お金をかけた立派なもの」ではないが、質素であるがゆえに信心、信仰の本質が見えてくる気がする。心のこもった温もりが伝わってくるのだ。この日は出席した1人が奉納した香炉を初めて使用するという。

 

「人の心が集まっている場所」 僧侶の人柄に遠くから通う信徒も  

会は赤澤師の法話で始まった。この会はこの日が4回目。前回の如来、菩薩の話に続いて、今回は地蔵、明王、天がテーマ。配られた手作りの資料に沿って赤澤師が仏像に関する興味深い話を披露。学術的、専門的になりがちなテーマをやさしく分かりやすく解説してくれた。熱心にメモをする人もいて、堅苦しくない「仏教勉強会」といった感じだ。
法話の後は全員で読経。配られたお経本は、これもまた赤澤師の手作りによるもの。ホチキスで綴じられた簡素なものだ。本当なら冷たく感じられるホチキスの芯も、作り手の苦労を思うと温かみが伝わってくるから不思議なものだ。読経後は修法師でもある赤澤師による大衆法楽加持が行われ参列者の罪障消滅が祈念された。  その後は恒例の茶話会。赤澤師を囲んでそれぞれが思い思いのことを話す。赤澤師の奥さん・実永さんや生後7カ月の未月ちゃんも席に着く。和気あいあいとした雰囲気だ。親戚の小母さんやお爺ちゃん・お婆ちゃんに囲まれたように未月ちゃんもご機嫌のようだ。
この日の参加者のなかには、高齢で足が悪いため車イスを使用しないと移動がままならない人もいた。そんな体調にもかかわらず、三本の電車を乗り継いで1時間以上をかけて毎回この会に参加している。車イスを押すのは娘さんだ。その人と赤澤師を結んだのは1本の新聞記事。昨年、本紙に出ていた記事を見てびっくりしたそうだ。国内開教師第1号が国立市に布教所を開くという小さな記事だ。なんとそのお坊さんは、かって参列した葬儀の際に心のこもったすばらしい通夜説教を聞かせてくれた若い人ではないか。「あの時の言葉で自分は悲しみの渕から救われた」そう思って所在を調べて国立を訪ねたそうだ。「たまたま見た新聞、こういうのを仏縁というのでしょうか。赤澤上人との縁を大切にしていきたいと思っています」と力を込める。
「ここは人の心が集まっている場所なんです」。この日のために香炉を奉納した男性信徒の言葉に全員がうなずく。「ここにいる時間が大切」、「ここを知ってよかった。ここには安らぎがあります」と参加者の言葉が続く。それぞれにとって国立布教所はなくてはならない存在になっているようだ。そんな参加者からの言葉を受け赤澤師は「人の心を集め、人の心に応えていく、そんなお寺に育てていきたい」と将来の夢を語る。そして「スローガンの育寺は、育自であり育慈でもある」と話す。
僧侶を囲んでなごやかに進む茶話会。これはまさに日蓮宗の原風景といえるのかもしれない。700数年前、日蓮聖人のお人柄やみ教えに惹かれて集まった人も最初はごくごく少数だったことだろう。仏具もおそらく簡素なものだったのではないだろうか。どんな大河の流れも最初は頼りなく小さなものなのだ。その先の大河が一滴の音に始まるのだとすれば、国立の地に微かなしずくの音を聞いたような気がした。
間もなく春のお彼岸を迎える。多くの全国の日蓮宗の寺院、教会、結社では彼岸会が営まれる。開所以来初めてのお彼岸を迎える国立布教所でも3月19日(土)午後2時から彼岸会を予定。これには誰もが参列できる。もしかすると日蓮宗で行われる日本一小さな彼岸会となるかもしれない。「一見の方歓迎。お気軽にお運びください」最後にコマーシャルも忘れない赤澤師だった。

 

【記事紹介】日蓮宗新聞2011年3月号掲載

 


2011年03月01日